古くて新しく、相当厄介な問題 中途半端な核燃料サイクルに警鐘が鳴る 脱原発への流れ
そもそも原子力発電の最大の問題点は、ウランの後始末に関して、ずっと問題を先送りしてきたことです。あの津波による福島原発事故により、そのツケが一気に回ってきました。
私も原発事故の前年に、参議院予算委員会でも取り上げたことがあります。当時は民主党政権下での菅(かん)内閣。私が指摘したのは、「将来的に、原発を全体の50~70%に高めるというエネルギー政策につき、必ず核廃棄物処理に対して大きな壁にぶち当たる。核燃料サイクルシステムおよび核廃棄物の最終処理場は本当に実現できるのか…?」、というものでした。
原発事故以来、固定価格買取り制度が出来て、再生可能エネルギーが普及しつつあるようですが、予測通りに進んではおりません。ましてや、世紀の金食い虫といわれた「もんじゅ」稼働を断念し、その解体処理に対して、適切な道筋が見えているのでしょうか…。
一度使い終わった核燃料には、まだ利用可能なウランが存在します。そして、新たに生まれたプルトニュウムがそこには含まれます。使用済み燃料を再利用する、そこまではある程度メドがついている、問題はそこから先。ウランを回収した後の廃液が、「高レベル放射性廃棄物」といわれるものです。
原発を持つ国はどこでも、最終処分に苦慮しています。先行するフィンランドでは、使用済み核燃料を容器に入れ最終処分する計画で、国民の合意も得て場所も決まりました。アメリカでは場所が決まったものの、作業は中断しております。
さて、活火山や活断層がいたる所に存在する我が日本。最近、北海道寿都町の町長さんが、最終処分地の選定の最初段階である「文献調査」への応募検討を表明しました。選定の手順は、文献調査⇒概要調査⇒精密調査の3段階であり、一連の調査には20年を要します。そして、まず文献調査を受け入れた段階で、国からその町に最大20億円を交付されます。
確かに、総論賛成、各論反対の典型事例かも知れませんが、私たち国民すべての問題として、この核のゴミを放置するわけにはいきません。ただ、応募する自治体には相当な覚悟が求められます。安全性や風評被害を巡り、住民の意見は2分されることになるでしょうから、国自体も、この「核のごみ」の扱いを真摯に取り扱う覚悟をもって臨まなければなりません。 コロナに負けるな!