学術会議問題はどう決着する?出口の見えぬ議論から新たな展開へ

 何と言っても騒ぎの発端は、政府による個別人事でありました。首相の任命権の下で、学者105人のうち、6人だけを任命拒否したことが事の発端です。先の臨時国会でも、色々問答が繰り返されたのは記憶に新しいことでしょう。

 しかしこの問題は今に始まったことではなく、遠く1980年代の初め頃にも、「運営が不透明」、「無用の長物」などといった批判の的に晒されました。その時は、廃止することも現実味を帯びましたが、紆余曲折を経て、1984年に会員選びを学者による直接投票から、学会推薦方式に切り替えるなど変更されて、現在に至っております。

 任命拒否そのものが、会議の存在全てを否定するとか、学問の自由への挑戦だとか、学者や文化人サイドからは多くの批判が上がっております。その一方、会議に対して「年間10億円もの税金のムダ遣い」から始まって、「日本を貶める学者集団」「スパイもどきのエリート団体」などと、あらぬ誹謗中傷も飛び交っていて大変聞き苦しいです。
 ところで本質から目をそらす意図ではないにせよ、学術会議を行政改革のやり玉にあげることは順序として間違っているのではないでしょうか。確かに、一連の論議の中で、学術会議にも多くの課題はあります。しかし、6人の学者をどのような経緯で任命しなかったか。政府自体がこの不透明さを拭い、行き過ぎがあったならば正さなければなりせん。

そして、任命を拒否する場合はその理由を明らかにする義務を課したり、学術会議からの推薦者が公の場で推薦理由を述べることなど、ルール化すべきだと思われます。今回のように曖昧な状態が続けば続くほど、少なからず学者が委縮していくでしょう。また公的な資金を受けている多くの文化、芸術活動に影響をもたらすことも必至です。

 任命の局面をはぐらかすことなく、また会議の存在意義を再度点検しながら、それこそ未来志向で改革を進めていくことを求めます。 コロナに負けるな!