聖徳太子の1400年忌 和を以て貴しとなすの精神で

 新年度もスタートしましたが、忘れてはならないこととして、今年は聖徳太子の1400年忌に当たります。太子は西暦622年に没し、奈良の叡福寺北古墳に眠っております。直径50メートル規模の円墳で、本人と母そして、妃が葬られているとされています。

 太子と言えば、「和」の思想を掲げ多くの人に説いてきたことで有名ですが、その一方、その素顔は伝説に覆われており、その評価も時代ごとに変容しております。そもそも聖徳太子というネーミングは死後に付けられた「おくり名」です。母親が厩戸(うまやと)の前で急に産気づいて生まれたので、「厩戸皇子」とか、「上宮太子」とかの名前でも登場します。

同時に10人が話す言葉を聞き分けることができたとか、黒駒に乗って空を駆けたとか、そうした伝説が膨らむ一方で、江戸期には仏教嫌いの儒学者や国学者たちからは、色々な批判も浴びました。確かに、仏教の興隆や、冠位12階の制定、および遣隋使など様々な政策を実行したと日本書紀には記されておりますが、どこまでの史実なのか、現在でも研究者の間では見方が揺れております。

しかし、大使と言えばやはり「17条憲法」に行きつくでしょう。その第1条は、「和を尊重し、衝突しないことを主義とせよ」と明記されております。当時、親族間での争いが絶えず、血みどろで権力闘争を繰り広げている時代でした。

「17条憲法」は人が和をもって生きる難しさを語っております。現代社会を生きる我々自身が学ぶべきものは、やはり和の精神ではないでしょうか。人それぞれ様々な考えや価値観がありましょうが、共に生きるには和らいだ心で他人と接する姿勢が不可欠です。今年を機に、改めて聖徳太子の遺志をさらに受け継いでいきたいものです。 コロナに負けるな!