基本法と名付けられた法律がどんどん作られる! 基本法の功罪とは

教育基本法ってご存知ですよね。戦後まもなくできた法律ですが、2006年に大幅に改正されました。こういう基本法と呼ばれる法律が我が国では、相当数に上っております。

そもそも法律というものは、具体的なルールを定めた「実定法」と、国が目指す社会の理想像を掲げる「プログラム法」に大別されます。歴史上、明治以来、我が国の法体系はこの「実定法」に重きを置いて制定されてきました。一定のルールがないと、国民が現実的に不便を強いられてしまう「立法事実」がある場合に限り、法律が作られてきたのです。
それでは前述した基本法なるものは、どちらに属するのでしょう。もうお分かりですよね、そう基本法は典型的な「プログラム法」です。1990年代の前半くらいから、政治改革にうねりが巻き起こった中で、「官僚任せから国会議員が主導で、国の針路を示す必要がある」、そんな名目で編み出されてきたのが、この基本法つくりでした。高齢者対策基本法や、科学技術基本法からはじまって、昨今は、官民データ活用促進や循環器病対策、あるいはギャンブル依存症対策などの基本法が出来上がっております。

しかし、基本法は作れば良いというわけではありません。これが出来ると、そのテーマを所管する役所が決まり、毎年○○白書が発行されるようになります。これをベースに、従来役所が手をつけたがらなかった課題につき、改めて「実定法」の制定が必要であると気づかされる場合があります。自殺対策基本法などは、その最たるものでして、バラバラに動いていた厚労省、内閣府および警察庁が相互に連携をとる必要性に迫られました。

他方、雨後の筍のごとく、基本法が作られると、振り回されるのはやはり役所の人たち。とりわけ内閣総務室においては、どの省庁のどの部署に所管させ責任をもたせようか、それを割り振るだけでも相当な手間暇を要することになります。どうでもいいと思われるような基本法まで…。

こうした基本法の功罪について、やはり提案する議員側の意識を改める必要があるのではないでしょうか。ただ単に作れば良いというのではなく、どうでも良い法律が増えれば増えるほど順法意識が薄れてしまうこと。そして、本来守られるべき法律までもないがしろにされかねないこと、これを肝に銘じていくべきでしょう。 コロナに負けるな!