会計検査院、本当に大丈夫か…?組織の独自性が発揮されない実情
国家予算の執行を巡り、本来厳しいチェックが入らなければなりません。もちろん国会の各委員会を通じて、議員(とりわけ野党議員)の論戦の的にはなりますが、やはり専門的な見地から、会計検査院の存在は大きいです。
ところが本来、会計検査院自身が、各省庁による予算の執行状況、その妥当性や効率性を客観的な視点から吟味すべき立場の組織でありますが、どこまで切り込めるか不透明であるとも言われております。それは何故なら、会計検査院のトップ人事は、霞が関や永田町の事情に大きく左右されているからです。
そもそも、会計検査院の職員は、独自の試験によって採用されるのではなく、国家公務員の採用試験によって選抜し、採用者を決定するという、他の省庁と同様です。つまり、会計検査院の職員自体、国家公務員法が適用される一般職の国会公務員であり、給与体系も同様に給与法が適用されます。
一方、国会職員(衆議院や参議院)および裁判所については、国家公務員とは別の選抜方法によって採用されております。要するに、会計検査院は独立の地位にあると言ってもそれは形式的な面が多く、基本的には各省庁と同じ。これでは横並びの存在にしかすぎず、その活動や職権の行使についても自ずと自制が掛かってくるのではないでしょうか。
例えば、森友学園問題に遡ると、あの当時、会計検査院は実地検査の権限が与えられているのにもかかわらず、国有地の売却価格値下げの根拠となったゴミがあるか否か、について独自に調査しませんでした。その結果、財務省が提出した決裁文書の改ざんを見抜けず、再調査に追い込まれるといった失態を演じましたね。これは取りも直さず、財務省との関係で、本来あるべき独自性を失ってしまったということでしょう。
今も昔も行政の監視機能が働かない原因として、天下りシステムが挙げられます。行政監視を担う側も、各省庁へと結びつく企業への再就職という点で、後々面倒を見てもらうからという意識が働きます。これではいつまで経っても、独自性を発揮できない状態に置かれていると言わざるを得ません。
天下りを断ち切るか、さもなくば民間サイドに監視機能を委ねるか…。また、国会に調査機能を移転させるという意見もありますが、やはり国会議員自らが自覚をもってそれに当たる覚悟でなければ、形式論になりかねないと思います。コロナ禍であろうことか、相変わらず財政の大盤振る舞いがなされています。今一度、お目付け役の任務と職責を問いただし、組織のあり方そのものを抜本的に見直していかねばなりません。 コロナに負けるな!